ローマと同じ階段を真似て作らせたも

トロイの子孫が住む町チャーノアドリア海から内陸に10分ほど走った場所にランチャーノの町がある。
町に着いたのがお昼時であったこともあり、旧市街は静まりかえっていた。
「この静けさはアブルッツォらしい」と思った。観光地化されず、町の人びとのペースで動いているからだ。しばらくウロウロしていると、昼食を終えた人々が町に繰り出してきた。
ローマ時代の遺跡と中世の建物中世の面影を十二分に残しているこの町は、標高二六五メートルで人口約三万六000人とアブルッツォ州の中ではかなり大きな都市である。
町を取り囲む城壁から見えるマイエッラ山塊は見事で、古代からこの地は人びとを魅了させる場所であった。
ランチャーノ旧市街の魅力は、古代や中世に造られた建物がそのまま残っていることであるディオクレティアヌスの橋、ローマ皇帝ディオクレティアヌス時代に造られたその橋の上に「マドンナ·デル·ポンテ大聖堂」、アポロン神殿の跡地に建てられたファサードが素晴ら建つ「サンタ·マリア·マッジョーレ教会」、そして、キリストがパンを肉に変えた聖体が祀らしいれている奇跡の教会がある。
奇跡を見るために、熱心なキリスト教信者が各地かこのらやってくるというのだ。
フェナローリ劇場も、音楽家なら一度は足を踏み入れたい場所だろう。
古典様式でできた現在のランチャーノは、古代でもそうであったようにエレガントで活気がある町という印象を受けたギリシャ人が造った紀元前の町歴史書を見ると、ランチャーノの歴史はなんと紀元前11八一年にまで遡れるという。
古代この話は「トロイローマの詩人ウェルギリウスが著したアエネーイスというのがあるが、で有名なトロイア戦争でトロイアが滅ぼされた後、この国の英雄アエネーイスが受難の木馬」と苦闘の末にイタリアに辿り着くまで描いた一大叙事詩である。

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素人が出て来て堂々とオペラのアリアを歌うのには驚いてしまっ

そのアエネーイスと一緒にイタリア半島に辿り着いたソリムスというギリシャ人がこのランチャーノの町を造ったといわれているギリシャ人は、ギリシャ神話などの宗教や都市生活などさまざまな文化をアドリア海沿岸都市に持ち込んだのだ。
こうしてイタリア半島にギリシャ文化が入り、土着のイタリア人フレンターニ族と異種交配し、ローマ帝国時代にはその重要な一都市となり、交易を拡大し、ローマとアドリア海を結ぶ生い茂る小麦畑が作られ、ワイン、木材、貿易都市として発展した。
皮、毛織物、ハチミツそして銀鉱山が採掘されていく。後の世紀で発達するヴェネチアのように、このアドリア海沿岸の都市は当時、世界の商品を山積みにした場所であった。
世界中から商人が来る市場として栄え、商業や手工業の分野で発展するコスモポリタンだったといえるファラ·サ>·マルティーノ「スパゲッティの王様ディ·チェコ」昔からずっと使っている大好きなパスタに青いラベルのものがある。
イタリアのどこで作らそれがアブルッツォ州で作られていると知ったからにれているのか考えたこともなかったが、は是が非でも行きたくなった。
興味津々たる気持ちでファラ·サン·マルティーノという町に私は向かった。
美しい水が育むパスタランチャーノから車で三0分、この国際的に知られたパスタ製造所にたどり着いた。
そこは町から少し離れた大きな山の麓だった。工場の青い屋根が見えたとき、「あのパッケージと同じブルー」と思わず叫んでしまった。
そして工場の背後にはゴツゴツした岩肌の大きな山がそび守衛から完全予約制なので飛び込みは無理だえていた入口で工場内を見学したいと話すと、と告げられた。
しかたなくパンフレットだけもらい、周辺をしばらく散策することにした。

 

大人たちの言い分に若い二人は振り回されていただけだった


ローマ人が造った1万人も座れる巨大野外円形劇場の跡地が一九九三年に発掘され

ひやっとする空気、そして澄み切ったヴェルデ川の清流を目にしたとき、原料の純良さを引き立てる水はこの自然水だということがわかった。
雪解け水や雨が岩の隙間にしみ込み、長い時間をかけて天然のフィルターでろ過された清流水を使うことが、極上のパスタの秘訣だったのだ。
·ディ·チェコ氏によって創設されたとパンフレットには、一八八七年、ドン·フィリッポアルデンテある。
家族経営の工場が、いまや世界のパスタメーカーに成長したのだ。という彼が発明した低温乾燥機が生み出すパスタあってのことだという。
言葉は、イタリア国内に十八もの工場があり、一日あたり八0万箱ものパスタが生産される。
パスタの原料として名が知セモリナという荒い挽き方で製粉する。
られているデュラム小麦を100%使用し、なかでもキタッラはアブルッツォ州の伝統パスタである。
ギターイタリア語でという意味だが、断面は丸ではなく四角いのが特徴で、色が黄色い。
これはラクイラで栽培されているサフランを使用しているからである。
サフランもアブルッツォの名産の一つだ。キタッラは歯ごたえがあり小麦本来の風味がある。蕎麦同様、コシのある麺が好きな日本人向きのパスタであこのコシのあるキタッラに仔羊を使った濃厚なソースを絡ませるのがアブルッツォの郷土る。

イタリアではようやく同盟軍が結成され

大きなスーツケースなど持って乗る場合料理であるこの手付かずのままの自然環境がパスタを美味しくするということがわかっただけでも来た意味があった。
歴史や伝統や食文化がこのアブルッツォ州に残っているのは、この自然を人の手で壊していないからこそ可能だったのだと思う。
グアルディアグレーレトレモンティグアルディアグレーレは、標高六00メートルの小さな町である。
ダヌンツィオこの町は、の作品死の勝利でたびたび登場する舞台であった。
「母なる不動の大いなる山そこにはマイエッラの山腹にあり、千年の時に耐えてきた数々の塔がそびえる石造りの高貴な町」と綴られている。
高貴な町にこれから足を踏み入れたい。そのサンタ·マリア·マッジョーレ教会まずサン·マルコ門をくぐった。
車から降りるとそこは見晴らしのよい高台で、ダヌンツィオがこよなく愛したマイエッラ山塊が間近にそびえ立っていた。
グラン·サッソ山に続く雄大な山並みで、絶景そのものだった。
町そのものが美術館のようである。ふと足を止めて見上げた教会はロ町の道は狭く蛇行し、「サンタ·ダヌンマネスク様式でできた清楚で美しいマッジョーレ教会」であった。
マリア·ツィオは、この教会を次のように描写する。
当時世界最大の規模とするべく拡張案へと変更された
当時世界最大の規模とするべく拡張案へと変更された

ミラノ日本総領事館

ですそして彼を世界史の中に名をとどめることとなるガリア制服にとりかかるのでした町の中心にあるサンタ·マリア·マッジョーレ教無数のすみれ色の繊細な花が石と石の割れ目から花を咲かせ、会には礎石から頂上まで、古い教会は花のような大理石と本物の花にすっかり包まれて青空の中にそびえ立っていた二世紀に建てられたというこの教会は、三つの箱を積んだような長方形だった。
一豚の丸焼きに舌鼓ローマ通りという目抜き通りの坂道を歩いているときである。
店の前に立っていた女性が「日本人なら豚の丸焼きを試食させてあげるよ」と大きな声で呼びかけてきた。
優しい目をした老女はなぜ私が日本人だとわかったのだろうか。話を聞くと、この町にはピアノのコンクールがあり、日本人もよく参加するのでなんとなくわかる、というのだ。
スライスされた焼き豚を口にいれると、それは本当におばさんが自慢するだけあって美味しかった。
ローズマリーとニンニクを詰めてじっくりこんがりと八時間以上ローストしたという。
口をモグモグしていると、おばさんは急に身の上話をし始めた。人の良さそうな下町の人情深いおばさん、というイメージだった。「この店を一から大きくしたんだよ。この私がね。夫は何も手伝わずにね。ほら、この向かいのあの邸宅も私が働いたお金で購入したんだよ。子供の教育費も私が出したんだ」老女は自分の人生をいつでも誰かに機会があれば語ってきたにちがいないその語る目の奥には商売で成功しながらも、どこか寂しい気持ちが隠しきれない様子であった。
また、いつか来ますと言い残してその場を立ち去った。いつまでもあの豚の丸焼きの味が口の中に広がっていた。
イストリア半島は獲得できたものの

東京都内からディズニーランドに行くくらいの気楽さだが

この店はこの町のメインストリートのちょうど真ん中に位置していた。
中央通りにはおしゃれなジュエリー店がいくつかあり、この町の伝統工芸になっているペンダントの金細工プレゼント-サがどのショーウインドーにも飾ってあった。
その中心にあ独身」か「既婚者かが見分けられるのだという。前者はハートが1る模様でつだけ。後者は三日月の先が二つのハートの上にくっついている。伝統菓子トレモンティガイドブックにある「グアルディアグレーレの伝統的な銘菓」さらに歩くと、を売る老舗のそれは「パスティッチェリア·パルメリオ」とパスティッチェリア.看板を二つ見つけた。
だった。同じ焼き菓子だが、ネーミングが前者のお店はトレモンティルッロ·エモで後者はシセ·デッレ·モナケなのだ。
三つの山なるほど、確かに山が三つトレモンティとはイタリア語でという意味である。
パルメリあるシュークリームのようなケーキで表面には粉砂糖がいっぱいふりかけてあった。
の店主は私に微笑みながら、実は見てもわかるように、おっぱいこれは女性のオなんだよ、とこっそり教えてくれた。

イタリア語とイタリア