最近では日本の結婚式でもフランス風にドラジェと呼ばれてよく使われている

この博物館のなかにあデスマスクや資料をいずれこの目で見ることを楽しみにして、この場を去った。
る彼の洗練された町並みでショッピングを再び、ペスカーラの中心街に戻ってメインストリートを歩いた。
この町は実に垢抜けていてウンブリア通り、中心街の通りには、ローマ通り、ミラノ通り、バーリ通り、ジェノヴァ通りといった州や都市の名前がついていた。
その中でも一番お洒落なのがやはり名実共にミラノ通りであった。あるショーウインドーには何枚もの楽譜を背景にして靴やカバンがステッキが並べられていた。
イタリアは音楽の都だ歩く姿勢も軽やかであった。けある。行き交う女性のファッションも素晴らしいが、男性は身体にぴったりと合ったスーツを着こなし、女性は胸の谷間を見せつけている。
美しさと快楽は山岳地帯の都市や自然ばかりを人生になくてはならないことを誇示しているかのようだった。
見てきたので、久しぶりに都会に来たという感覚をペスカーラで味わった。
世界のファッションをリードするミラノの高級品街のモンテナポレオーネ通りにも負けていなかった。
まるで飢えを満たすかのように、私は女性服や装飾品のお店を一つ一つじっくり見て回った。
広場で骨董市が開かれていた。数百軒の小さな出店が広場をギュウギュちょうどこの日は、銀製品を売る店で、小皿を手に取るとイタリア人男性が「チャウに埋め尽し、活気があった。
と声をかけてきた。

  • イタリアの鉄道にも急速に自動券売機が普及し
  • タリアコッツォから私の旅は始まった
  • ローマ帝国時代だけでなく

ローマ·ミラノ間を往復していた彼らは買ってくれそうな女性になら誰にで君、きれいだね」オ·ベッラブレゴー、ブレゴーと笑いながらどうぞ、も同じセリフで声をかけるのだ。
どうぞそしてアブルッツォの海沿いの町と勧めるのが実に上手だ。昔の下町的な人情のよさを感じた私は、に来てようやく開放的な気分になったのか、銀製のお盆をつい買ってしまった。
威勢の良い元建物ばかりではな気なおばさんのお喋りもあちこちで聞こえてきた。
旅を楽しくさせるのは、く、現地の人びとが生きる姿を垣間見ることでもある。
シーフードを堪能できるレストランあわてて市内のシーフードレストランに入ることにした。
実お昼をとっくに過ぎてしまい、カフェ·パイロテはお目当ては町外れの海辺沿いにあるミシュランの星一つのレストランだが今回は時間がなかったので、次回の楽しみとなった。
だった。レストランで注文したろのは白ワインと合う新鮮な魚介類の唐揚げとブロデットと呼ばれるムール貝やイカなどがグラッパを飲んだ。
入ったトマト味の魚介スープだった。食後酒にイタリアのお酒アルいつまでも喉がヒリヒリしたが、消化を助ける健康的なお酒でコール度数が四〇度もあり、一度飲むとまたその快感を味わいたくなる。
アブルッツォでは山の幸ばかりか、そしてワインも堪能できる。こうして海の幸も、土地の伝統的な食文化や食材を見直すスローフードの理念と密接につながっている地域だ。
近くにはペスカーラ川にライト日が暮れて、港湾にかかるs字形の橋を渡ることにした。
アップされた影を映す市役所の綺麗なタワーが眺められた。ペスカーラは町全体が綺麗で整然この町は第二次世界大戦で連合軍の猛攻撃を受け、とした町並みである。
跡形も無く実は、敗戦後の懸命の努力で復興した町であった。なったのだ。イタリアではようやく同盟軍が結成され

 

イタリアでは休みをたっぷり取ることは世界中に知られており

漁師の仕掛け小屋そこに不思議な木造の小屋がいくつ再び戻って港内に入り、しばらく岸辺を歩いていると、もあった。
歩いていたカップルに尋ねてみた。この小さな家は漁師の家ですか?すると女性が、「これはトラボツキといって魚を捕るための仕掛けをする小屋です」と教えてくれた確かにこの小さな小屋は海岸から突き出していて、そこから網を沈めて魚を捕る仕掛けになっている。
トラボツキはアブルッツォ州のアドリア海でよく見られる光景だという。
特に後で訪れるオルトーナの海岸が一番有名らしい。潮騒の響き、海の香り、さやさやと風にそよぐ松の枝の音を感じながら、空と海と水平線を時間を忘れて眺めることができた。
自分が自然の一部に還ったような安らぎをあたえる町。それがペスカーラであった。アブルッツォ国立公園とマイエッラ山塊国立公園アブルッツォ州に四つある国立公園のうちの二つ、アブルッツォ国立公園次なる目的地は、アブルッツォ州は六五%が山岳地帯で、とマイエッラ山塊国立公園である。
そのほとんどが国大自然がアブルッツォ州を包み込んでいるともいえる。
立公園といってもいいほど風光明媚。マイエッラ山塊国立公園はいくつもの山のグループがひとかたまりになった地域で、東京都11キエティ県の一部にまたがり、三区ほどの大きさである。
ペスカーラ県ラクイラ県、公園内を眺めると同時に、そこにある町も一緒に訪れることができる。
羊の道1トラットゥーロ出発点の町国道を走って110分ほどでアブルッまず、高速道路A25号線のペッシーナという町で降り、ツォ国立公園入口の標識が見えた。
しばらく山道を上っていくと、標高一一六七メートルのラクイラ県のペスカセロリという町に着いた。
人口11000人の小さな町であるが、案内書には夏はハイキング、冬はスキー客で賑わう観光地とある。
ちょうどアブルッツォ国立公園の真ん中に位置しているペスカセロリは、前のページで述べたあ羊の移動「トラットゥーロー羊の道」の、のと呼ばれる四つのコーストランスマンツァのうちの出発点の一つであった。
太古の歴史を受け継ぐ羊の群れは、この町から南のプーリア州カンデーラまで至るのだ。
哲学者ベネデット·クローチェの出身地町を歩くと小さな教会の前で足を止めた。
その毅然とした長方形のファサードに魅せられたからだ。
日本の食べ方とは大分コンセプトが違う
ローマは三世紀末に軍人皇帝の時代が終わり
山岳地帯に住むということは、厳しい自然との対峙を意味する。だが、山の神様から守られているという印象も受ける。案内書には、この町で生まれ育ったひとりの哲学者がいると書かれていた。
日本でも戦前戦後にかけてよく読まれた哲学書ヴィーコの哲学で知られるベネデット·クローチェである。
彼もまた神に守られた一人だったに違いない。しばらく歩くと1111四〇メートルもあるペトローソ山が遠くにそびえ立っていた。
この山はアブルッツォ国立公園とマイエッラ山塊国立公園の境界をなしている。
アブルッツォ州の国立公園は野生的な自然が多く、手つかずのまま放置されているという感じだ。
ヤギに似た珍しいシャモアやアブルッツォ産オオカミまで住んでいるという。
動物公園内に点在する町は何千年も続く歴史や手工芸の伝統を守っている切り妻屋根の家並みスカンアブルッツォ国立公園は、なだらかな山脈もあれば、荒々しい景観や深くえぐったような谷などさまざまな表情をもっていた。
特に力強い断崖の上を走る車の窓から眼下に広がる景色や絶壁は迫力満点だった。
日本のアルプスでは見ることができないスケールの大きな風景がそこにはある。
イタリアで最も美しい町の一つその素晴らしい景色を眺めながら走っていたそのとき、斜面にへばりつくように整然とした町が見えた。
それはラクイラ県のスカンノという町であった。

 

イタリアでは酒は飽くまでも食事に付随するものだとの認識があるからだ

この町は山間の地とはいえ決してひなびた田舎ではなく、まさに桃源郷だった。
そこでは人びとの気質はどのように育まれていったのだろうか。佇まいに、その心ばえがうかがえそうだ。山から吹き付ける風の抵抗を減らすかのように切り妻屋根が無数に見えた。
切り妻屋とは本を開いて伏せたような形の屋根をさすのだが、妻側根その三角の部分のを正面にして、まるでドミノのようにいくつも連なっていた。
その家並みの列が、並行して何列も何列も斜面に段々畑のように並んでいた。
まるで中世にできたニュータウンのようだった。町全体の独特なバランスはここを訪れて初めて体感できる。残念なことに、町に一般車は入れない。町の入口の外に車を停めて町の中に入ると、中世がそのままじっと静止しているような旧市街があった。
まるで映画のセットのように見える中世調和のとれた坂道と階段を歩いていると、石が私をジッと見つめているようでの風景である。
怖くなった。標高一0五0メートルに位置するスカンノが、イタリアで最も美しい町の一つに選ばれたと知ったのは、コーヒーを飲もうと立ち寄った店主の自慢話からだった。
「日本人の写真家も来たし、ブレッソンのよう二0世紀を代表する写真家アンリ·カルティエな写真家もスカンノを写真に収めています」伝統工芸が息づく町後から調べてわかったのだが、スカンノの町を写真に収めたのは日本人の写真家ヤマモトとくに、ヨーコである。
この町の黒い伝統的な衣装に身を包んだ女性たちは雑誌によく取材されるらしい。
今でこそ交通の便がよくなり、ローマから車で一時間もあれば来られるのだが昔は自然の要塞がこの町を守り、観光地化することなく、昔ながらの伝統を変わらぬ状態で受け継いできたのだろう。

その戦いを勝ち抜くためには軍資金が必要だった

お店のショーウインドーを見ると、金や銀の細工のネックレスやレース編みがきれいに並べてあった。
この町の女性たちは現在もこうした伝統的な手工芸による独特の衣裳を身に着け、旅人を魅了し続けている。
スカンノの建築の素晴らしさや自然の美しさは訪れた者でなければ体感できないだろう。
夏に行われる湖の花火大会や、伝統的な衣裳をまとって昔ながらの婚姻の行列を再現するユ·カテナッチエも観に訪れたい。
「第二次世界大戦からの復興」スルモーナアブルッツォ国立公園を後にして次に立ち寄ったのが周囲を緑豊かな山々で囲まれ、中世のこの町はちょうどアブルッツォ国立公園とマ景色を色濃く残すスルモーナという町であった。
イエッラ山塊国立公園の中間に位置し、ラクイラ県にある。人口約二万七000人で、その発祥はとても古く、変身物語の作者、紀元前のローマ時代に遡る。
日本でも有名な古代ロマの大詩人オヴィディウス生誕の地でもある。
大詩人オヴィディウスとコンフェッティを生んだ町オヴィディウス通りを抜けると、光あふれる広場に出くわし足の向くままに目抜き通りた。


イタリアではようやく同盟軍が結成され ローマからシエナや イタリア語会話にも余り出ていないし